高校の時にカナダのブリティッシュ・コロンビア州のバンクーバーに留学(当時は英語をろくにしゃべれず日本では公立の中学に行っていた為、英語の先生に良くからかわれていた...)。創造性に主観を置いたシュタイナー(ドイツの哲学者)の理念を基準にした高校、ワードルフ高校にて英語、絵、音楽を主に高校の教育課程を学ぶ。
大学ではスポーツ栄養学をブリティッシュ・コロンビア州立大学で学ぶが、親の離婚等で学校に継続して行く事ができなくなり、2年が終了した段階で休学届けを出す。
ワーキングホリデービザを取得し、カナダにその後1年営業職で仕事をするが、子供ができた為、将来性のある仕事をしようと日本に帰国。
日本帰国後、レストラン等で管理職として仕事をしたが収入、将来性に限界が見えた為、私の義理の父親にキャリアパスに関して相談を持ち込む。
義理の父親の親友に紹介してもらい、受けた提案が、”インターネットで何かすれば。”という一言であった。
とりあえず何かしようという懸案した末、絵心があった事もありHTMLやJavaScript等のWEBデザインの領域に足を入れ、株式会社ジョンソン・エンド・ジョンソンに契約社員として採用される。
ジョンソン・エンド・ジョンソンでは、WEBマスターとして雇われ、ファイル管理、サイトリニューアルや軽い修正等を入社直後は実施していた。
入社後半年位に、
社内システム部門の課長に目をかけられ社内システムのネットワーク管理から小規模のシステム開発プロジェクトを任されるようになる。その後、自分で提案したBtoB用の情報ポータルの企画、デザイン、構築からプロジェクト管理までを一括で行う。
2年程度経ち、 社内システム部門の一員として何ができるかの限界が見え、もっと大きい仕事、プロジェクトをしたいと転職を考え始める。
転職先としてIBM系列の会社、マイクロソフトのMSN部門等から声がかかるが、インターネットをもっと囲いの無い場所で追求したいと考え、インターネットのパイオニア的会社である伊藤譲一が始めた株式会社デジタル・ガレージにテクニカル・ディレクターとして入社。
当社が抱える大規模プロジェクト(億単位)の殆どは自分がシステム部分を管轄。顧客のインターネットでのビジネス企画段階から関わり、実際のインテグレーションではデザイン、ソフトウェア、ハードウェアを跨る広い範囲で実行管理をした。
2002年12月よりプロジェクトで家族を疎かにしていた事もあり、家族と一時を過ごそうと日本をしばらく離れる事を決意。
アジアを半年間旅行した後、妻の実家であり、私が高校、大学時代に住んでいたカナダのバンクーバーに落ち着く事を決める。
バンクーバーや日本の中小企業にもっとインターネットを使って元気になってほしいとの思いよりAGNADAを設立。
私、個人へのお問合せ> shida@agnada.com |